
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。8月30日(月)~9月3日(金)のゲストは東京五輪フェンシング・エペ団体金メダリストの加納虹輝と日本フェンシング協会・会長の武井壮。2日目は、フルーレからエペに転向した経緯について― 黒木)フェンシングというと、西洋の舞台をやるときに劇中で出て来るので、身近なものとして感じてはいたのですが、それがオリンピックでフェンシングというのが、とても新鮮でした。 武井)劇中で決闘みたいなシーンとかありますよね。 黒木)加納さんがフェンシングに興味を持たれたのは、前会長の太田雄貴さんが北京オリンピックで銀メダルを獲得された大会をご覧になり、「かっこいいな」と思ったのがきっかけだったということですが、どうかっこいいと思われたのですか? 加納)まず、剣を使ったスポーツというものを見て、かっこいいなと最初に思って、私も剣を使って相手と戦ってみたいと思いました。 黒木)それで地元のフェンシングのクラブに行かれて始められたのですか? 加納)1年後に、両親に「フェンシングを始めたい」と言ったところ、両親がフェンシングクラブを探してくれて、そこに行ってすぐに始めました。 黒木)剣先で突くというところに魅力を感じられたのでしょうか? 加納)突くというところもそうですし、剣で相手の剣と叩き合う、剣を交えるということに関心を持っていました。 黒木)それで愛知を離れて、高校は山口県にあるフェンシングの強豪校に進学なさったのですよね、中学を卒業されて。思い切りいいですね、フェンシングの道に進もうと15歳で思われたのですね。 加納)中学生のときになかなか試合で勝てなかったので、勝つためにどんな手でも使おうと思って、それで強豪校に進学することを決めました。 黒木)寮だったのですか? 加納)下宿でした。 黒木)下宿ということは、ご自分で自炊? 加納)ご飯だけつくってくれるおばちゃんがいて、それ以外は自分でした。 黒木)もともとフルーレをやっていらしたということなのですが、高校1年生のときに優勝したそうですね。 加納)エペのアンダー17の大会で優勝しました。 黒木)でも、それまではフルーレをやっていらした。 加納)フルーレをやっていたのですが、遊び半分でエペの大会にも出ていたのです。それで、出たエペの大会で優勝したのです。
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