《連載》私の課長時代 アステラス製薬社長 安川健司氏(下)
■アステラス製薬の前身の一つである山之内製薬に入社した安川健司社長は、米国勤務から帰国後の1998年、日米欧3極の開発を率いる。 過活動ぼうこう治療薬「ベシケア」のプロジェクトリーダーとして、日米欧の同時並行で進める臨床試験(治験)を指揮しました。90~96年の米国勤務中に山之内製薬として初めての医薬品の現地開発に成功しましたが、その時は日本で先行販売していた治療薬の海外展開でした。世界3極の治験は未踏の領域でした。 過活動ぼうこう治療薬の開発では、山之内は世界で4番手ぐらい。先行メーカーがシェアを取れば巻き返しが難しくなります。当時の社長だった小野田正愛さんの「3番手以内で発売せよ」というハッパを受け、競争に身を投じました。
■言葉の壁が大きな課題になった。
オランダで買収した中堅製薬会社と米国拠点の担当者を交え、頻繁に電話会議を開きました。臨床開発の進捗を確認し、各地の治験時のトラブルや薬事当局への対応などを議論します。 会議は英語ですが、日本人やオランダ人は英語が苦手な人も多いため、3つのルールを決めました。誰でも分かる中学生レベルの語彙を使う。学校の英語授業で習わない慣用句は禁止です。誤解を防ぐために、二重否定文や否定の疑問文も避けることも徹底しました。簡潔な議論を心がけたことで、円滑に意思疎通できるようになりました。
■開発には巨額の費用もかかった。
臨床開発では治験や薬事当局への結果報告など、複数のマイルストーン(中間目標)を着実にクリアしなければなりません。市場に出るまでのスピードは臨床開発責任者の腕次第です。目標に向けて決断を繰り返す点は、多くの場面で企業経営に通じると思います。 開発の山場となる治験の結果発表前は、1週間近く眠れない日々が続きました。薬の効果が確認できなければ、努力が水の泡です。東京本社で米国から届く治験結果の開示を待ちましたが、薬効を示すデータが次々に示されると本当にほっとしたことを覚えています。最終的に世界2番手で発売できました。 ベシケアの臨床開発には5年を要しましたが、ピークの2001年度の開発費用は230億円でした。1つの医薬品の開発に山之内の当時の研究開発費の半分近くをかけたわけです。 05年に藤沢薬品工業と経営統合してアステラス製薬が誕生します。藤沢も免疫抑制剤を展開していましたが、複数の医薬品を世界で同時に開発できる真のグローバル企業になるためには単独では難しい。世界で勝負に挑み、厳しい現実に直面した両社の体験も統合を後押しした一因でした。
■あのころ……
医薬品の開発競争が激化する中、2000年代以降は有望な新薬候補を持つ企業の買収など、世界的に業界再編が進んだ。日本でも02年に中外製薬がスイスのロシュの傘下に入ったほか、05年の第一製薬と三共、大日本製薬と住友製薬の合併につながった。 [日本経済新聞朝刊 2020年8月18日付]
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September 01, 2020 at 05:28AM
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たった1つの医薬品に全社開発費の半分を投入! アステラスが足を踏み入れた「未知の領域」(NIKKEI STYLE) - Yahoo!ニュース
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