
高層ビルの建設に欠かせない「タワークレーン」。その半数を製造しているのが広島に本社を置く北川鉄工所だ。製品開発力の高さは製造業の世界で広く知られている。なぜそうした希少な位置を占めるようになったのか。同社の北川祐治代表取締役会長兼社長に聞いた――。(インタビュー・文=中沢孝夫・福井県立大学名誉教授) 【この記事の画像を見る】 ■日本のビル建設に使うクレーンの半分は北川製 ――北川鉄工所は典型的なBtoBの企業なので、仕事の中身は消費者には、地元(備後・府中市)の市民は別として、一般市民には見えにくいのですが、設立から80年、創業者の個人企業の時代から数えると100年を超えました。 【北川祐治(北川鉄工所代表取締役会長兼社長)】山あり谷ありでしたが、新製品の開発や改良を重ねることによって、おかげさまでここまで歩んできました。当社の事業の中身を大きく分けると①金属素形材事業、②産業機械事業、③工作機器事業、の3分野です。 金属素形材事業は、いわゆる鋳物製品で、クルマのトランスミッション部品や農業機械部品など機械加工した鋳造品を大量に造っています。工作機器事業は、工作機械の周辺機器などを造っており、NC円テーブル、回転シリンダ、旋盤用チャックなど多様です。 産業機械事業ですと、建設機械のタワークレーンなどです。日本のビルを建てているタワークレーンのおよそ2分の1が当社の製品です。高層ビル、中層ビルの上層階をどんどん重ねていくクレーンです。またコンクリートプラントなども多くの生コン工場に供給させていただいています。
■悪条件だったからこそ生まれた多くの技術 ――社長に就任したのはいつ頃でしたか。 【北川】アメリカで同時多発テロがあった2001年でした。いわゆる9.11の際には、ドイツで工作機械の展示会などがあり見学に行っていました。当時の日本は金融危機の後で、右肩上がりが終わった、といった気分が支配的でしたね。 しかし中国の鋳物工場の見学に行ったりしましたが、裸で作業していたり、工場の外にまで機械を置いて働くといった、日本の50年前、60年前の意欲的で前を向いている働き方を見ている内に、まだ中国は成長軌道に乗り切ってはいないが、世界は成長するという感触をもち、社内的に「Decade Plan 2011」を立ち上げ、自分たちの将来を考えました。プランの基本は、グローバル企業、ナンバーワン企業としての目標、といったものでした。 なお、バブルの崩壊や金融危機、その後のリーマンショックといった大きな波のなかでも会社の継続が可能だったのは、さまざまな製品群が顧客の方々に受け入れられたからにほかなりませんが、そうした製品群の一つに一般社会でも目立つ、いま申し上げたビル建設のタワークレーンがあります。 タワークレーンは元々、本州と四国に三つの連絡橋を架ける仕事を受注し、島から島へと、足場のない場所で橋を架けるために建設業者と相談しながら考案していったクレーンの数々が、もとにありました。 御承知のように、本四架橋(本州四国架橋)は1978年に児島・坂出ルートから着工して以来、1999年に尾道・今治ルートが完成するまでの20年に及ぶ仕事でした。強い風雨、弱い足場、飛び飛びの島、といった悪条件の中の工事でしたが、その困難が、架橋工事に取り組む多くの建設業者と協力して、たくさんの技術を生むという結果をもたらしました。 ■タワークレーンで乗り越えたリーマンショック 海中での基礎工事。島から島の距離の長い地形。それぞれが重く・長い鉄骨の運搬や取り付け、といった無数の課題がありました。それらに取り組むことで、クレーンに関する多くの技術を蓄積して、1990年にはクレーンの専用工場を設置しました。 本州と四国の架橋工事がおわるのとほとんど時を同じくして、都市でのマンション工事、巨大ビルの新築工事のラッシュが始まりました。 開発コストなどのために、90年代後半のクレーン製造の利益はまだわずかでしたが、00年代の後半には利益を生んでおり、2009年のリーマンショックもタワークレーンなど建設機械が生み出す利益でしのげたと言えます。
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