被爆地・長崎で、高知の親子が平和について考えた。最初は半分、観光目的のつもりだった。
高知市立横浜新町小6年、有光彩瑛(さえ)さん(11)は、父・孝仁(こうじ)さん(45)と8月7~11日、長崎市を訪れた。日本非核宣言自治体協議会が呼びかけた「親子記者事業」の一環だ。
被爆者らへの取材を通して、全国から集まった8組の親子と一緒に全8ページの新聞を作った。
長崎市で被爆した山川剛(たけし)さん(85)を取材し、その話に衝撃を受けた。
1945年8月9日、山川さんはいつものように家の近くで遊んでいた。泥団子をこねていた午前11時ごろ、見張り員が「敵機!」と怒鳴るのが聞こえた。瞬く間に白く熱い光に包まれ、気がつくと左半身にやけどを負っていた。
「一晩中、泣きながら姉と親戚の家まで避難したことがつらかった」。そう振り返る山川さんの話に耳を傾け、1時間、必死にメモを取った。
書きたいことはたくさんあったが、300文字に収めないといけない。いったん書き上げた原稿を少しずつ削り、3時間かけて原稿を書き上げた。
「平和は大切だと分かっていたけど、あまり縁のなかった戦争や核兵器について話を聞くことで、平和について深く真剣に考えるようになった」
有光さん親子は、岸田文雄首相も参列した9日の平和祈念式典に参加し、爆心地から約500メートルに位置する浦上天主堂も訪ねた。核兵器廃絶を訴える運動をしている長崎の大学生にも取材した。
彩瑛さんは執筆した記事で「私たちも、少しかもしれませんが、高知県の周りの人に平和の種をまこうと思います」と書いた。孝仁さんも「被爆した方の生の声に触れることで、平和や戦争について改めて考える良い機会をいただいた」と話した。(羽賀和紀)
からの記事と詳細 ( 半分観光目的だった親子記者、長崎で被爆者に会って取材してみたら:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル )
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