ウイルス感染症が広がる中、世界は重苦しい雰囲気と混乱に包まれています。そんな状況下で変わっていったライフスタイルや価値観、あるいは見つめ直したことについて、さまざまな立場の方々がつづる、リレー連載「コロナ・ノート」。
ニューヨークを拠点に活動する文筆家の岡田育さんは、現在日本に長期滞在中。日本に帰国するまでのニューヨークの様子から、東京に戻って経験したいくつかの、大切なできごとを経て気付いた「二つに分離した心」のありようをつづります。
(写真=岡田育)
タイムズスクエアから観光客が消えた
いつもと同じ飛行機に乗っているのに、やたらと機内が寒い気がしてならない。追加のブランケットとカーディガンを持ってきてくれた客室乗務員が、ご搭乗のお客様が半分しかいらっしゃいませんから、と言って目で笑う。マスクをしていて顔の下半分の表情はわからないが、いつもと同じフルメイクをしているのだろうか。それとも、そこもいつもの半分なのかな。
機内食が運ばれてくるスピードもやたらと早く、とっとと食べ終えたのに眠れない。機内誌をめくると東京スカパラダイスオーケストラが載っていた。そういえば今年1月下旬、中国武漢で新型肺炎が流行中とのニュースを聞いて、まず連想したのはスカパラの「ウーハンの女」という曲だ。あれからまだ2カ月も経っていない。
2月の私はひどい咳(せき)風邪をひいてニューヨークの自宅でずっと寝込んでいた。米国では普段このくらいの体調不良でいちいち医療機関にかからない。マスク姿のアジア系女性が襲われたヘイトクライムのニュースを聞いて、咳が治まるまでは用心して外出を控えていた。とはいえ治ったら治ったで、ライブハウスやダンスパーティーに出かけて初対面の相手と抱き合って踊ったりもしていた。この街の人々は顔全体で大きく笑う。
3月1日、州で初めての感染者が確認され、夏時間が始まる前日、非常事態宣言が出る。大型イベントの延期が決まり、大手航空会社のアジア発着便が止まり、タイムズスクエアから観光客が消えて劇場も封鎖された。株価は大暴落、西海岸のクルーズ船パニックが東海岸まで届く。
普段は豪胆で楽観主義、ドン底でも逆境に強く見える生粋のニューヨーカーたちが、目に見えない不安に踊らされ、目の前のトイレットペーパーや除菌グッズやパスタを買い占める姿に驚かされる。
通っていた美術大学の同窓生、広告やファッションの業界で働く仕事仲間、この街で知り合った人々の多くは、華やかな肩書をいくつも掛け持ちしているが、私と同じく現金収入は不安定だ。
世界中が未曽有の健康危機に直面するなか、従業員か借金か乳幼児かその全部を抱えて、毎日苦渋の決断をしながら顔見知りが順番に気鬱(きうつ)になっていく。家の近所では客足の鈍った店が続々と閉業しはじめ、中でも決断が速かったのはアジアンエスニックの飲食店だった。
いつもどおりだけれど、いつもどおりではない世界
やがて大西洋の往来ができなくなる。欧州を忙しく飛び回っていた友人は夏までの仕事がすべて吹き飛び、ビザの都合もあって緊急帰国を強いられた。世界中を旅するライフスタイルも有事には「国」に縛られてしまう。
文字どおり、本当に「この世の終わりだ」とテキストしてきた元クラスメートもいた。リーマン・ショックの頃はまだ学生だった若者だ。美食家の彼女に「スシ職人を思い出して、あんなふうに身の回りを徹底的に清めて、健康を保ってね」と返信する。日米を往(い)き来しながら暮らしていた我々夫婦も生活様式の変容を強いられる。
事態が落ち着くまで日本に滞在すると決めたとき、少なくない人から「こんなときに飛行機に乗るなんてダメだ、Stay at home!」と強く引き留められた。危ないお外へ行かないで、ここで一緒にいましょう、と心配する声。それは海面から表に出た氷山の上半分で、下半分には、おまえたちだけパンデミックから逃げ出すなんてズルい、という無言の声も汲(く)み取れる。
扉を閉ざし、人をえり分け、移動の自由を奪(うば)って縛りつけるような物言いが何よりも恐ろしい。自分を取り巻く世界がみるみる縮んでいくような感覚をおぼえる。ソーシャルディスタンシングを保ちながら、じっと時を待たなければならない。お互いを取り巻く負の感情が、いつか完全に溶けて消えてなくなるまで。
出発当日、住んでいる建物の管理人がスペイン語のおしゃべりをやめて「気をつけて行ってこいよ」と声をかけてくる。Uberの運転手はエジプト人で、スーツケースを運び込む前に両手をホールドアップして「これは俺が触っていいのか?」と聞く。もちろん手を借りたい、我々はあなたを怖がっていない、と応えると、俺だってそうさ、でも、マジでクレージーになっている客もいるんだよ、と笑う。ガラガラの高速道路を飛ばして、普段の半分くらいの時間でJFK空港に着く。
搭乗直前、手元のスマホに通知があり、友人が家族で感染した旨を知らせてくる。直接の知り合いが罹(かか)ったと聞くのはそれが初めてで、その後、別に珍しいことでもなくなる。妊娠中の妻が検査で陽性だった、がん治療中の夫が緊急入院した、軽症者に病床を回せないと言われて自宅でのたうちまわって一人で治した……。
いつもと同じ羽田着の飛行機、いつもと同じザルみたいな入国審査。でも、いつもどおりではない。ニューヨークで外出禁止令が施行されたのは、東京の仮住まいで荷ほどきをしている最中だった。
パジャマでウェディング・パーティー
4月に入ると日本でも緊急事態宣言が発令される。食糧の買い出し以外に出歩かない日々が続くなか、結婚式に出席した。日本人とアメリカ人の国際結婚で、大がかりなパーティーを計画していたカップルだ。すべての予定を変更し、6月半ばにZoomで結婚披露宴を執り行うという。この日はその予行演習のような集まりだった。
スーツケース二つ分の荷物で暮らす私は礼服の持ち合わせがなく、夏物ブラウスをおろして着る。三週間ぶりにきちんと化粧して、一番大きくて派手なイヤリングをつけた。ミーティングルームにアクセスしてみると、すでに八十組ほどのゲストが一堂に会している。そして、よそゆきを着ているのは私だけだったので、ズッコケた。
ウェディングドレスでも着るのかと思っていた新婦は、外で会うときよりドレスダウンしている。全米各州に散る親戚一同もほとんどがスウェットやTシャツ姿、長椅子に寝そべってワイングラスなど掲げている。日本時間は土曜の午前中で、地球の裏側は金曜の深夜だ。
酔っ払った参加者が新郎新婦に「子供は何人作るのよ!?」としつこく聞くのを、朝の陽光に照らされながらシラフのまま眺める。今年出産したばかりの新婦友人が、明らかに寝不足のすっぴん顔でずっと赤子を揺すっている。
おおよそ百分割された画面の小窓、そのうち若いお嬢さんがムスッと口角を下げてアイロンで髪を巻き始め、むずかる幼児に両親が慌てて離乳食を食べさせ始め、かたや、ギターを手にした新郎友人は、出番じゃないのに弾き語りを始めた。
さっきまで三人家族のいた小窓が無人になったりもしている。みんな自由だな。私も祝辞の途中でそっとトイレに立ち、台所でおやつをつまみ食いしてから、飲み物をグラスに注いでまた席に戻る。
心から祝福するこの気持ちと、手持ち無沙汰のこの退屈とは、まるで別物で、そして同時に両立している。上半分はフルメイクに一張羅、下半分はパジャマのズボンのままという、今の私の格好のように。もしも同じメンツがリアルで結婚式場に集ったら、きっとプロの腕利きカメラマンなども雇われて、たっぷり着飾った来賓が満面の笑みでライスシャワーをまく、そんなよそゆきの姿だけが記録されるのだろう。それはそれでつまらないよな、と考えたりする、忘れ難いパーティーだった。
心の蓋(ふた)を二つに割ってみる
おめでたい知らせもあれば悲しい知らせもある。5月に入ると知人の訃報(ふほう)が届いた。夫の長年の友人で私も面識のある人物。感染報告には驚かなくなっていたものの、身近な人が新型コロナウイルス感染症で亡くなるのは初めてだ。葬儀は済んだようだが遺族とうまく連絡がつかない。身内にまだ入院患者がいてもおかしくない。お別れを告げようにも、お悔やみを述べようにも、どこへも駆けつけられない。手も足も出ない。
いつ誰に死が訪れてもおかしくないのだと、体の上半分、頭では受け入れることができても、下半分は、どうにも実感が地に足つかずにいる。もう少し経って「新しい日常」を取り戻したそのとき、会えるはずだった人にもう二度と会えない空白を、ようやく悼むことができるのかもしれない。
狭い部屋の中をうろつくばかりで万歩計はまったく動かず、足腰の筋力が萎(な)えたような感じがする。一方で処理すべき情報だけは氾濫(はんらん)していて、脳は今まで以上にフル回転している。時間が経つのがおそろしく早い。日記を書くだけで日が暮れたことが何度もあるが、何を書きとめてもその日を生きた実感が薄い。
1月下旬、ウーハンに思いを馳(は)せてから、もう4カ月も経っている。初めてのことをたくさん経験して、そのどれも過去になりつつある。ニューヨークと東京。肉体と精神。内と外。慶事と弔事。日常と非日常。半分と半分、二つで一つ、どちらも自分。この分離した感覚を縒(よ)り合わせてまた結び変えることはできるだろうか。割れ目をぴったり継ぎ合わせ、また同じ巡りを循環させることができるだろうか。
一度ほどいたものは二度と元には戻らない。けれども、今まで信じて疑っていなかったものの蓋(ふた)を二つに割ってこじ開けて、半分と半分、自分の手で分解してみたこの期間にも、なにがしか意味があったよねと、言える日だって来るのだろう。今はそう信じて日々を生きる。
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